現代の匠

大工棟梁 澤近熊喜

大工さんになろうと思ったのはいつでしょうか

45年も前のことやからなぁ。
あのころは食うもんも無かったから、食うためになったんやけど。
15歳で弟子入りできましたわ。そやから、45年やなぁ。
その内福山さんが一番ながいね~。30年おるからね~。
30年以上やからね。僕の半世紀、福山さんに行ってもうた。
軸組から始めて、ツーバイフォー。

福山住宅の魅力はどんなところでしょうか

いろんなところから、お話がくると思うんですが、福山住宅さんの仕事を続けている魅力って、どんなところに魅力を感じていらっしゃるんでしょうか まぁ 自由といえばなんですけれど。結構ね会社と一体となって。なるべく狂いのない家建てたいもんなぁ。

福山さんとこ、建替え事業始めるときに、自分の家と思うてやろうという、会社にそういう想いでやったのが、僕は覚えてるからね。今だに。松岡部長が言うたかなぁ。住宅事業部立ち上げた時に、自分の家のつもりで、やっていったら結果はでると、そのまま正直にきてるけどね。他の会社は知りませんよ。けど、自分の家のつもりでやっとったら、そんな変な材料使われへんし、家も変な家造られへん。大事に大事に。自分のもんやったら、大事にするからね。

休みの日にご自身が建てた家を、様子を見に廻っていらっしゃるとお聞きしましたが

昔は、バタバタしましたけど、そういうあれが無くなってからわね。自分がね、やった家は大事ですから。大事に使ってくれたら、うれしいでしょ。行ってね、大事に使ってくれてるから。居てはったら、お茶もろたり。ドアノブの緩んだの、ドライバーでひとつ閉めるだけでも違うんやからね。気持ちやから。

水が変な動きする日はやっぱり怖いですよ。けど まぁなんともなかった。必ず行きます。あんなでかい台風の時は。地震がきたときなんかも。あぁ3階建て大丈夫かなぁ。ほんまびっくりするもんありますよ。びくともしなかったけどね。

動けるところ。近くをね。神戸の震災の時は、豊中とか尼崎のあたりは行きましたよ。ツーバイフォーやったからね、びくともしなかったね。あと5年まぁ頑張りますわ。

自分が手がけた家はね。何十年も前のはだめですよ。もうこの5年ぐらい前のから、ずっと。ずっと残しておきたいから、仕上げ見にいくだけでも、思い出すからね。あぁ、こういうのあったなぁという、自分もそう思うたから。あいつもそう思うかなぁと思うんやけど、見てて廻るんやけど。それと気になるしね。この前の台風の日は、5件しか廻れんかった。直撃の日にも 台風は、いろんな風が吹くからね 四方から雨風がどういう動きするか。

若いころを振り返って楽しかったでしょう

そな楽しくなかったですよ、ぜんせん! 大変でしたよ 仕事に対しても大変やなぁおもうんですけど、住み込みやからなぁ。 昔おしんっていうドラマありましたやん。あの世界です。今は楽しいけどね。気楽になったからなぁ。

今はお客さんが若い人が多いからねぇ。ちょっと前よりと、お客さんの層が違うからね。20台の人もけっこういてはるもんね。やっぱりねぇ、福山さんには、昔はもっといっぱいおりましたよ。分譲してるころにはねぇ。今残っているメンバーは、プロ中のプロが、よう残ってますね。こんだけのメンバーが残ったゆうことは、すごいと思います。図面さえ渡しとけば、絶対間違わんゆうメンバー残ってますからねぇ。福山さんの立場やったら、安心して渡せる職人ばっかりやから。

プロとして45年やってきて、プロフェッショナルってなんですか

仕事に身が入っているというか。真剣にねぇ。その1つの仕事に取り組んだときに、絶対妥協しないのよね。昔っから、専務がよく知ってる建替え事業でね、ちょっと前の時代には、和室が多かったんですよ。畳のねぇ。本畳の。いろんな図面描いてくれる先生が、いっぱいおったんですわ。その頃にね、いろんな仕事させてもらって。自分で、家で見ても、解らん図面いっぱいあった。どうしようかと、最後まで(イメージを)描くんです。普通の和室、オーソドックスなやつは、もうねぇ、なんてゆうか。

昔から行ってるから慣れっこやから、そんなこと考えたことないけど。そういう図面、変り床とか、そういう図面貰ったときにねぇ、それ納めたときは、俺もちょっとは、上手になったかなぁと思うこともありますよ。

師匠には、まだかなわんけど。ちょっとは上手になったかなぁって言うときもあります。その年になってきとんのやけど、もうこうっていうのがね。これで飯くっとんのやから。納得いった仕事ね。自分でねぇ。自分で納得した仕事した時には、よしっと思いますけど。そうなったかなと。なかなかなぁ。最近少ないやけどね。いろいろありましたで~。ほんまに。