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松岡孝將
建設部 部長



プロフェッショナルとは


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プロフェッショナルとは










福山住宅に勤務して何年ですか

39年間、福山住宅に勤務しています。
ニッセイ住宅に、就職をしました。 日本生命は、当時現金保有高日本一でした。 世界第三位だったんです。 日本生命は、大阪淀屋橋に本社があります。
当時は住宅をやりたいと思っていました。 兵庫県には、日生中央駅という駅もあるぐらい、ものすごくたくさんの住宅を建てていて、一時期 国会で
「保険で集めたお金で、商売するとはけしからん」
と批判を浴びたこともありました。



その後福山住宅に入社されたのですね

その当時24〜5歳で、 若くって。 その後結婚をして、 子供もできました。 社長に仲人をやっていただいて、 ご縁が深くって、 専務の拓也氏も、小さいころからよく存じていますよ。
この会社に入って、 最初は、図面を描いていましたが、 現場がたくさんでてきて、 忙しくなって、 現場の方が得意だということで、 現場担当になりました。



福山住宅にずっと関わり続けてきたわけですね

当時は、みんな図面を描いていました。 ドラフターで描いているときは、みんな描くのが早くて、平面と立面を一日で描きあげるんですよ。
そのときは、月30棟。 年間370〜380棟やってました。 だから忙しかったですよ。
ピークの時は、社員数118名でした。 バブルがはじける前ぐらいのことです。
京都支店・滋賀営業所があった。 京都支店は、四条烏丸の三井ビルにありました。
京都・大津・近江八幡が営業エリアでした。

篠原で、ミサワホームが分譲して、ひとつも売れなくて、当社にやってくれんか、ということで、社長と三澤千代治氏とご縁で、お付合いがあって、社長は、頼まれると、いやと言わないタイプなので。

そんなに懇意なお付合いがあったわけではなく、篠原の団地が終わったあとは、それで終わりだったのですが。 その後、 HABITAという商品通してご縁が再開するのですが、 三澤千代治氏も、 当時の篠原の団地の件は、 覚えていらっしゃって。
千代治氏は74歳。 当社の社長が70歳。 お二人共カリスマ的な考え方をお持ちの方でしたね。

福山住宅株式会社・松岡孝將



吹き抜けの家について

昔から
「日本で一番いい建物を造るのは大阪で、大阪の中で一番いい住宅を造るのは福山だ」と。
そういう風に考えると、福山住宅は、日本で一番の会社だろう。
吹抜けの家は、代表作です。
吹抜けは贅沢な、もったいないという空間なんですが、昭和50年からやってました。 吹抜けの家は、大阪では、みなさんご存知だと思います。 坪庭のある家だとか、風の通る家、などいろんなテーマで、 家造りをしてきて。

何かを取り入れようということで、吹抜けの家を造ったところ、月30件販売していく中で、最も最初に売れたのが、吹抜けの家だったんです。
吹抜けを全戸取り入れようと、いうことになったのですが、今度は、吹抜けはもったいない、吹抜けが無ければ買いたい、というお客さんが出てこらえれたんです。
その時、社長は
「吹抜けの無い家は、 他の会社で建てていただきなさい。 当社は、吹抜けの家を造っていく」
と言われたのが、とても印象として残っています。

当時は、営業でトップになれば、ハワイに研修旅行に行ける。 6ヶ月でトップになって、非営業の1名がハワイの研修に行けました。
お小遣いをもらって、運転手付きのリムジンで、送り迎えしてもらって、若いときに、ああいう経験をさせてもらうと、ここは天国だと思った。 バブルが弾けた後は、無くなりましたが。
ほとんどの社員が、ゴルフをやっていました。 バブルが弾けてからは、クラブのひとつも握っていません。

昔、アメリカに、福山インターナショナルがあって、アメリカでも分譲していました。 ロス・アンジェルスと、サンフランシスコの間ぐらいのゴルフ場に隣接した分譲地でした。
ギルロイという日本人が開発した温泉があり、そこの権利を所得して、そこを開発しようかというあたりで、中断はしましたが。
アメリカにもナーブ建材ショウにも、2度ほどおじゃましたりもしました。 メキシコまで足を伸ばしたり、そんな経験もさせてもらって、ツーバイフォーを始めたときを、リアルに知っています。



ツーバイフォーの歴史そのものですね

社長の知人で、 三井物産に倉岡(ヨシロウ)さんという方がいらっしゃって、 倉岡さんが、三井ホームの社長になるべく人だったのですが、 あまり前面にでるのが、 お好きではない方だったので、 社長が赤井士郎さんになった。

倉岡さんは、ミスターツーバイフォーと呼ばれ、 アメリカからミスターツーバイフォー工法を導入する、 一番の牽引者になった方で、 アメリカ領事館から表彰をうけられた。
京都大学農学部のご出身。 三井物産で、木材の輸入を担当されていた方。

その倉岡さんの先輩で、 伊藤恒治博士が退官されるということで、 その方を、 会社に受け入れたらどうかということで、 当社にお越しいただいて。
アメリカから、 資料がきても、 全部英語なので、 当時の社員は読めなかったので、 伊藤さんが翻訳をしてくれた。

福山住宅株式会社・松岡孝將



そして最初のツーバイフォーが出来上がるわけですね

その時、材木を5軒分、コンテナで輸入して、こちらで図面を描いて、それで、日本で最初のツーバイフォー住宅を、建てることになったんです。
それでなかったら、私たちが日本で最初のツーバイフォー住宅を、建てることはできなかった。
高槻市宮之川原に建てましょうということで、その時の大工さんが、三浦棟梁です。 その方が、他がするより、「第一号をやった方がいいよ」と。
ツーバイフォーの3階建てが解禁になったときも、当社が第一号なんです。 茨木市舟木町。
カナダのどこから仕入れればいいのか、1ヶ月ぐらい社員が行って、探したりしていました。 社長と倉岡さんが相談してやってました。
当時、柱があって家だという感覚でしたから、「こんな部材が柱になるのか」という感じでした。



まさにツーバイフォー先駆けですね

最初は、合板で固めて、バラックみたいな家に見えるわけですよ。
その当時、注文住宅でなくって分譲ですから、ツーバイフォーは、6面体で造りますから。 音は響くんですが、外に声が漏れないんです。
冬は暖かいです。 隙間風がないから。
地震に強い。
火災に強い。
とても合理的な建物ですね。



阪神淡路大震災がありましたね

阪神淡路大震災があるまでは、ツーバイフォーで造るか、軸組で造るか、悩んでいたのですが。
あの地震があって、社長とみんなで朝会って、社長と二人で、芦屋からずうっと神戸の方に行きました。
こちらから行くと、西宮を超えて、夙川のところで電車が止まっていて。
その後歩いて行くと、潰れた家の光景を、ずうっと見て廻ったときに
「松岡君 きみが次に家建てるときにどの家を建てる」
と聞かれ
「もう私ツーバイフォーですね」と
「どうして」
「仕事をしていて家に家族がいたときに、たとえ歪んでも潰れることはない」
「軸組はちゃんと構造すればいいんだけれど、偏って東南の角に柱1本で、その部分が集中過重を受けて、その柱が折れたがために、ぺしゃんとなっている家が結構あったんですよ。 そういう建物を建てるよりは、安全が第一ですよね」
と伝えました。
それからですよ「もうこれからは軸組はやめようと、これから当社はツーバイフォー一本で行こう」
いうのが、今当社がツーバイフォーに特化している理由なのです。



その後ハビタを導入されましたね

HABITAは、軸組ですが、5寸角なので、200年構造は持つということで、採用しました。
「地震が来て他が潰れても当社の家は残る、そういう構造にしなさい。」
強い家造り。
よい家造り。
それが建設部を預かって、一番重要としていることです。
健康的な家造り
維持費が係らない家造り
冷暖房費が係らない家造り
住宅の断熱材に、吹付けのウレタンを採用しました。
当時、吹付けのウレタンの断熱材の採用は、マンションなどしかやっていませんでした。 住宅は、グラスウールが主流で、吹付けのウレタンの断熱材は、なかったんです。 初めてウレタンの断熱材を採用したとき、工事は冬だったのですが、大工さんが「暖かくてこれはいいわ」と
それを社長に伝えたところ 「そんなにいいのなら全戸採用しなさい」 ということになった。



ウレタン断熱を住宅に採用されたのも先駆けですね

普通の断熱材の6倍くらい、値段が高いので、オプションで対応しようと思っていた。 結露もしなくていいなぁと思いました。
全戸採用すれば、コストも下がるだろうし、社長からも、「利は元にあり。仕入れをできるだけ安くしなさい。」 アイシネンは、「環境に優しい吹きつけ断熱材を」 ということで、アイシネンを採用し、現在はアイシネンです。
だから、仕事をしていて、楽しかったですね。 新しいことに、 チャレンジさせていただいた。
社長は、
「毎日の繰り返しだから、仕事は楽しく」
といってます。



家を建てられる方は、どんな状態の時に建てられるのでしょう

普通は、給料が上がるだとか、出世をするとか、子供が生まれるとか、人生で一番輝いているときに、家を建てようと思います。
その建て主の方に接する人間が、暗い顔をしていては、いい家が建つわけが無い。
そんな背景も考えながら、当社はみんな、大らかに仕事しているんじゃないかな、と思うんですけどね。



7つ道具についてお話ください

・一生懸命取り組む
・この仕事から何か1つでも得るもの改善点を見つける
・この仕事で成果を出す
・人よりも上手くやってやろうと思い取り組む
「日本一美しい現場を造ろう」
をモットーでやっています。

片付けだとか、職人さんにも言っているのですが、まだまだです。
良くできている現場は、 現場が綺麗。

家を造り終わったときに、次のお客さんを紹介していただけるように、お客さんと信頼関係を作って、後々お付合いができる。 お付合いができるができると、またそこから、いろんなビジネスがでてくる。

福山住宅株式会社・松岡孝將



信頼関係を大切にされているのですね

建てて7〜8年して、また当社でというお客さんが、何人もいらっしゃいます。
松岡はちょっと一味違うなと。 ものは同じであっても、職人さんとの付き合いだとか、現場に行ったときに、検査している立場ですが、雑談をするなかで、人間関係をひとつでも、その職人さんと仲良くなれば、他のところで話があっても、やはり福山住宅さんを優先しようと。
職人さんは人間関係。 だから現場で工程を作ったら、ほとんどずらすことがなかったですね。 何かの理由でずらすというのが嫌いなんです。



現場管理もしていたのですね

絶対に工程通りにやっていく、それが、自分の良さ。
そしたら、業者さんも、自分が言った日にちは、間違えないと言うことで、信頼関係がどんどん深くなっていく。
怒ったりするのではなく、信頼関係で付いて来てくれる。 予定は、かなり前もって流しますね。 相手が断られないように。
現場段取りも準備なんですよね。
ですから、最初に工程表を渡して、2週間ぐらい前になったら、「その日ぐらいには間違えないから」と。 そしたら業者さんも、 他の仕事があっても、 こちらの工程を優先してやってくれる。 結局相手の立場になって、 物を言うと、 相手もこっち側になってくれる。
3〜4日手前で「入ってくれんか」 と言っても、。 「いやいや、もう先約があるんです」 という話になるじゃないですか。

私たちの仕事も同じでね。 だいぶ一月ぐらい前から、 「頼みますよ」って声かけてくれたら、 予定を入れるじゃないですか。
2〜3日前に言われても
「いや申し訳ないですが、この日は予定が入ってます」
ということになりますよね。 これは全ての仕事がそうだと思うんですよね。

ですから現場がある時には、 徹底してやろうと思っていましたから。 工程が決まったら、 その工程がいかに短くできるか考えます。 短くできれば、 他の仕事もまたできますし、 ちょっとのんびりしようかと、いう余裕にもつながります。
いかに短くしようかと考えると、 頭を回して。
5日早くなったとなれば、 もう1日早くできる方法はないかなぁと。



今後やってみたい仕事はなんですか

7年後のオリンピック開催迄に、 1人でも多くの若い人たちが建築・物づくりにあこがれ、 技術者・技能者が活き活き働ける業界にしたい。
新規顧客開拓。
新商品の開発。
小学校の子供さんに、 「大きくなったら何になる」 って聞いたときに 一般的には「お医者さん」だとか言われるでしょうが、 私らの時には、 大工さんだとか、そんなことを答えた記憶がありますが、 楽しい仕事の職種になったらいいなぁと。
子供たちが憧れるような、 「黒部の太陽」だとかを見たときに
「うわ〜すごいなぁ〜」
「こんなのやりたいなぁ」
東京タワーができあがったときにも
「あんな高いものを造るって、 すごいなぁって」
それが国のシンボルでしょう。
だから良いものを、もっともっとできるような、 私たちは家を造りますが、 「家としては福山の家が一番だ」と いうような住まい造りをね、 微力ながらやっていきたいなぁと思っています。
ツーバイフォーをやっていますが、 HABITAも新商品としてご提供をはじめました。
新商品を作りたいなぁと考えています。 一朝一夕ではできないけれど、 じわじわとあっためて、 1年後ぐらいには、きっと発表できるんじゃないかなと。



新商品を計画中なんですね

土地がだんだん狭くなりますでしょ。 そんななかで1階のところに、 駐車場を造りたいと。
それだけの広いスパンを飛ぶと、 ツーバイフォーではできないんです。
ツーバイフォーは2間(3m60cm)以上の開口を造ることはできない。 構造用フレームを造らないとできない。 横には90cmの壁を造らないといけない。 という制約があり、それに対して、 5m〜6mの開口部をとっても大丈夫なものです。
これは、パナソニックとウッドワンが競争して造ってますので、 そういうものを導入して、 自由度の高い住宅。 これからは車2〜3台の時代になってくる。 前面に広い開口部を造っても、 2階・3階が建てられるように、 自由度の高い、 それでいて強い、 基本は強いということなんです。
強くって自由度が高いものができるとなれば、 一番いいんじゃないかと。 当社の技術は、 断熱だとかかなり進んでいます。 後は、設計の自由度。 それに対して強度が問題ないかと。 そういうこともやりたいなと思っています。

福山住宅株式会社・松岡孝將




嬉しかったできごとを教えてください

弁護士のお客さまに、89坪の建物をお任せいただいたこと。
建築に詳しい方で、建築訴訟を多く手がけられている方が、他社大手と比較して、当社にご用命頂いたことですね。

もう13年になりますが、毎年、海津の桜を見にハイキングにお誘いいただけます。
4月の第2週、 休みの水曜日に合わせて京都駅で待ち合わせして、いっしょに毎年。 琵琶湖は何十回と訪れていらっしゃっていて
「この桜の季節が、とにかく美しいから」
と言ってお誘いくださいます。
向こうでワンカップ大関を、 二人でいっしょに飲んで
「今年の桜は一番きれいだったね〜」
とか言いながら桜を愛でるんです。
そういうのって、 やっぱり嬉しいですよね。

天満の商店街でも、 ロイヤルホテルの元コック長がなさっているステーキハウスがあるんですよ。 そこのマスターが小さな店のときに、 しょっちゅう飲みに行っていたときに、 家を建てるのに、 福山住宅で建ててほしいということで、 家を建てさせていただいて、 それからもず〜っとお付合いで、 私にしてみると宝物というか、 嬉しいことです。
そういうことがあるから、 そういう方を裏切らないように、 やっていかないといけない。
当社で8000棟以上の住宅があります。 大半のお客さんとの出会いがあり、 お会いしてきました。 その方々を当社で後々面倒がみれるような、 そういう会社でありたいなと思っています。



プロフェッショナルとは何ですか

全力を尽くすということでしょうね。
技術的に。

結局お客さんが
プロに任せるといことは
この建物の全てを信頼して
任せていただけるわけですから。
その信頼に応えるということは
全力を尽くしてお応えすると。

だから少なくても
私よりもっといい人間が携わったら
いい家になったと
言われることだけはしたくないなと。
思うことはいつもそうなんです。
私が携わった住宅で
仮に図面の不備があったとしても
構造的にきちっとできたと。
設計もきっちり描きますから、 今はそんなことはほとんどありませんけれど。
でも納まりだとか、 そういった部分を現場で見ながら、 ここはこうしたらいいなぁと、 いうことをしておくという。

出来上がって、
あぁ、 あの時にという後悔をしないようにすることが、 プロなんじゃないかなと。


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